たとえば小さい子から、
「ねえ、3かける4って何?」と聞かれたら、
何と答えるだろうか。
「12だよ」で終われば簡単なんだけど、
もし心と時間に余裕のあるときなら、さらにこう考えるかもしれない:
「あれ、でもこの子、宿題やるために答えを聞いてるだけなのかな…?
3x4=12 って教えるだけで良いんだろうか…。
かけ算や九九のこと、ちゃんと分かってるか確認してあげるところから始めた方がいいのでは…」
高校生に英語を教えるときも、同じようなことが起こる。
たとえば「infiniteって単語の意味、何ですか?」と聞かれたとする。
「いやまずは単語帳とか辞書とか見よや!」…って言いたい気持ちをグッと抑えられたとして、
「無限の、って意味やで」と教えるのは容易。
だけど、心のなかでは、
「それは in + finite という形の単語で、
in は否定のin、そして
finite は "有限の" っていう意味で、
合わせると "有限ではない" だから、
"無限の"って意味なんよ」
まで言いたくなっている。
さらにinfiniteは、あえてカタカナで書けば "インフィニット" って発音だけど、
finiteの方は "ファイナイト" で、発音がけっこう変わっちゃうことも、声を出して覚えてほしい。
そして、まだまだこんなところでは止まらない。
infinite・finite の中には "fin" が隠れているけど、
これらの単語は実は finish と関係している。
全て、「終わり」とか「制限・境界」といった意味をもつラテン語に由来していて、
そうすると finite が「有限の」っていう意味なのもしっくりくる。
define (定義する) という単語も、finが隠れているよね。
定義するっていうのは、「Xとは~~である」っていうように、
他のものとの間に境界線を引いて区切る行為と言える。
たとえば「偶数とは2で割り切れる数である」と定義するとき、
「2, 4, 24は偶数グループに入ってもいいよ、
でも1, 5, 23は入っちゃだめだよ」と言っているわけやね。
こうやって、制限して、区切っているわけ。
・・・と、教える側の頭の中では、
「これも知っとくとええんやけどなー」という知識が
ズルズルズルっと糸でつながって出てくる。
だけど、実際にどこまで口に出すかは、
教える相手の習熟度にもよるし(話しすぎるとかえって混乱させる)、
他の要因も関係してくる(テスト5分前にこんな話をされても迷惑だろう)。
よく「1教えるには10知ってないといけない」みたいな格言(?)を聞くことがあるけど、
それに近いような話かもしれない。
でも、他方で、「1教えるのに1しか知っていない」人から教わる方が分かりやすい場面もあるなーと、実は思っている。
それは、テスト前なんかに、友達から教えてもらうとき。
生徒の子たちを見ていると、
友達同士で英語や数学を教えてあげているシーンをよく目にする。
「うまく説明するもんやなー」と思いながら聞いているんだけど、
似た目線の同級生 (or 先輩後輩) だからこそ、分かりやすく教えられるっていうこともあるよね。
教わる側も、遠慮なく「どういうこと?」と聞き返しやすいだろうし。
…なんてことを思って今日も英語を教えてます。
下の写真は、最近教室に来てくれた卒業生の子たちからの差し入れ。
貴重なバイト代で、後輩たちのために買ってきてくれたのかと思うと本当に嬉しい。
ありがとう!