2016年7月14日木曜日

1かける2



恥ずかしいんだけど、

高校生のとき、「勉強してないのに良い成績がとれる、っていうのがかっこいい」みたいに思っている時期があった。

だから、そういう風に思ってる人がいるとしたら、その気持ちはけっこう分かる。

でも、そのうち、「ちょっと自分はそれは違うな」と思ってすぐにやめた。

実際、東大に行くと、

元々ものすごく優秀で、「勉強しなくてもどうにでもなるでしょ君」っていうような友達が、

大勢で図書館にこもってビックリするぐらい勉強していた。

まあそれをガリ勉とか言って笑う人もいると思うんだけど、

自分はかっこいいなと思った。








「先生どうせ元から勉強できたんでしょ」って言われることがあるが、

高3のときは、

お風呂でも勉強していたし、

歯医者に行っても、イスの上で、治療されているとき以外はずっと勉強していた。

それが変だとは全然思わなかった。







たとえばオリンピック選手が、

「いやー、全然練習してなかったんですけど、なんか銅メダルとれてラッキーでしたよ」って発言していたら、

あんまり応援する気がなくなるというか、そんなにかっこよくはない気がする。






すごく大雑把だけど、日本の文化って、結果よりも過程を重視しがちなときがあって、

「根性出して練習することに意味がある、結果は関係ない」みたいな価値観につながるときがあるようで、

これはあんまり個人的には好きじゃない。ただし、

その一方で、「才能が全てなんだから、努力したって無駄」というのも、極端すぎると思う。

やっぱり、[1]才能と[2]練習量の、かけ算で成果は決まると思う。

才能というかセンスというか、これが不平等なのは仕方ない(たとえば自分は球技スポーツのセンスは壊滅的に無いので、なんでもこなせる人たちがものすごくうらやましいが、まあそこは差があるのは仕方ない)。

でも、そこにかけ算する練習量の方は、これは自分で調整できる。





冒頭に書いた、「勉強してないのに成績がいい」っていうのは、

[1]才能があるから、[2]練習量は全然ないけど、

この2つをかけ算したら良い結果でした、っていうことを宣言していることになるんだけど、

どうせそんなに才能があるなら、かけ算する練習量も増やして、さらに上にいけば、もっとかっこいいと思う。

練習してないのに20位がとれました、より、

練習したら1位がとれました、の方が感動する気がする。





まあ、

Enjoy! You live once!

なので、あくまで楽しみながら練習量を増やせるとベストだ。






今日は高2メンバーの授業だ。

新メンバーも増えて、さらにみんなで英語パワーを上げていこう。よし。