恥ずかしいんだけど、
高校生のとき、「勉強してないのに良い成績がとれる、っていうのがかっこいい」みたいに思っている時期があった。
だから、そういう風に思ってる人がいるとしたら、その気持ちはけっこう分かる。
でも、そのうち、「ちょっと自分はそれは違うな」と思ってすぐにやめた。
実際、東大に行くと、
元々ものすごく優秀で、「勉強しなくてもどうにでもなるでしょ君」っていうような友達が、
大勢で図書館にこもってビックリするぐらい勉強していた。
まあそれをガリ勉とか言って笑う人もいると思うんだけど、
自分はかっこいいなと思った。
「先生どうせ元から勉強できたんでしょ」って言われることがあるが、
高3のときは、
お風呂でも勉強していたし、
歯医者に行っても、イスの上で、治療されているとき以外はずっと勉強していた。
それが変だとは全然思わなかった。
たとえばオリンピック選手が、
「いやー、全然練習してなかったんですけど、なんか銅メダルとれてラッキーでしたよ」って発言していたら、
あんまり応援する気がなくなるというか、そんなにかっこよくはない気がする。
すごく大雑把だけど、日本の文化って、結果よりも過程を重視しがちなときがあって、
「根性出して練習することに意味がある、結果は関係ない」みたいな価値観につながるときがあるようで、
これはあんまり個人的には好きじゃない。ただし、
その一方で、「才能が全てなんだから、努力したって無駄」というのも、極端すぎると思う。
やっぱり、[1]才能と[2]練習量の、かけ算で成果は決まると思う。
才能というかセンスというか、これが不平等なのは仕方ない(たとえば自分は球技スポーツのセンスは壊滅的に無いので、なんでもこなせる人たちがものすごくうらやましいが、まあそこは差があるのは仕方ない)。
でも、そこにかけ算する練習量の方は、これは自分で調整できる。
冒頭に書いた、「勉強してないのに成績がいい」っていうのは、
[1]才能があるから、[2]練習量は全然ないけど、
この2つをかけ算したら良い結果でした、っていうことを宣言していることになるんだけど、
どうせそんなに才能があるなら、かけ算する練習量も増やして、さらに上にいけば、もっとかっこいいと思う。
練習してないのに20位がとれました、より、
練習したら1位がとれました、の方が感動する気がする。
まあ、
Enjoy! You live once!
なので、あくまで楽しみながら練習量を増やせるとベストだ。
今日は高2メンバーの授業だ。
新メンバーも増えて、さらにみんなで英語パワーを上げていこう。よし。