2019年3月23日土曜日

「場」


今日は、新1年生の体験授業の初日。

まだスタートまで時間があるので、1つ記事を書いてみます。




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昨日は、卒塾メンバーが遊びにきて、現役メンバーの質問に答えてくれた。(海外旅行のお土産もありがとう!)






こちらは、最近スタートした、不定期イベントのTalk Sessionの一枚。希望メンバーで英語でトークするっていう気軽な会だ。普段聞けない話もできたし(英語で話す限り、内容はフリー)、「またやりたい!」と言う子が多かったので、ちょこちょこ開催していきたい。





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昔、「金八先生」っていうドラマがあって、

その中で金八先生が、「昔は何気ない買い物でもお店の人と交流があったが、今は何でも自動販売機で買えて、そういうちょっとした場さえ失われた」

という趣旨のことを言っていた(気がする。記憶に自信がない…もしかして学校の先生が言っていたのかもしれない)。

そのときは、「まあ、そういうものかな」ぐらいにしか感じなかったんだけど、今やほとんどのものをアマゾンで購入できて、brick-and-mortar stores つまり実店舗にすら行かなくても買い物ができるようになってしまった。(自分も、週に数回はアマゾンで何か買う、ヘビーユーザだ。)

そういえば、江戸時代なんかは、銭湯や床屋が人々の社交場だったという話をよく聞くけど、今は家庭にお風呂があって、美容室でもスタイリストの人と話をするだけで、あんまり「社交場」という感じはしない。

なんとなく、便利さを突き詰めまくると、そういう、ちょっとした「場」みたいなものが押し流されてしまって、寂しい感じもする。

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それで、勉強っていう世界を見てみると、今はオンライン動画を使えば家で勉強できるし、参考書もかなり充実している。だったら、塾に行く意味って何なのかなーと思うことが結構ある。

超英塾で言えば、英語が得意になるのをサポートするのは当然のこととして、こういう対面の塾の役割のもう1つは、そういう「場」にもあるのかなと感じる。

たとえばモチベーションが下がってきたときに、「あー今日何かやる気でーへんわー」とか言いながら話をして「やっぱ今日もちょっとだけ勉強して帰ろかな」と感じたり、

「え、あいつ英検受かったん?! すごっ」と刺激を受けて頑張ってみたり、

学校とは違う友達ができて話すようになったり。




江戸時代の銭湯は、お風呂に入りにいくのが本来の目的で、そこに付随して社交場が存在していた。別に、人々は「社交場で話すためにお金を払っていた」というわけではない。

同じように、塾は勉強を得意になるために授業を受けに行くのが本来の目的で、そこにお金を払っていただいているわけだけど、付随して、そういう「場」の存在からも恩恵を受けられる場所なんじゃないかなーという気がする。

上のTalk Sessionにしても、卒塾メンバーの子たちが来て現役メンバーに話をしてくれるのにしても、そういう「場」の表れの1つといえそうだ。


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よく、塾に入ってから数か月後に生徒の子が言ってくれるのが、

まず「東大の人って、もっと怖い・とっつきにくい人だと思ってた」というのと(これにはいつも笑う)、

そして途中から入塾した子が特に言うのが「体験に来たとき、フレンドリーな雰囲気でビックリした」というものだ(昨日も言われた)。

(これは、性格的に合う人・合わない人がいると思うので、基本的に入塾前には体験授業を受けてもらってから、入るかどうか決めてもらっている。)

こういう雰囲気を感じてもらえるのは、対面の塾だからこその「場」の作用なんじゃないかな、というのが、最近感じていることだ。

媒体ごとに、それぞれの良さがあるので、高校生のみんなは「いいとこどり」していけば良いと思う。例えば、英語は塾で勉強して、別の曜日は自習室にきて数学のオンライン授業を受けて…みたいなパターンもある(そういうメンバーのために、部屋でフリーのWi-Fiを飛ばしている)。

今は便利な時代だけど(←こんなセリフを書くと、自分が年をとってきてるんだなと感じて少し嫌になるが…)、

対面だから生まれる「場」も大切にしたいなと感じて今日もやっている。




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というわけで、少し真面目な話を書いてみました。

保護者の皆様・塾生メンバーのみんなから、

差し入れ・お土産をたくさんいただいています。いつもありがとうございます!みんな休憩時間においしくいただいています!