2016年6月30日木曜日

ピアノを弾けたら・・・




生きているうちにやりたいことがたくさんある。

ピアノを弾けるようになる、というのも、その1つだ。

自分が全く弾けないので、もう弾ける人がうらやましくて仕方がない。

習うように言われて始めた、という人も多いと思うけど、

自分は、小さい頃に習いたいと言ったのに却下されたニガい思い出がある。

だから、余計にいつかチャレンジしたいと思ってしまう。

やるとなったら、たぶん大ハマリするだろう。

狂ったように練習しまくる気がする。








そういえば、英語を教えていますって伝えると、

「英語ができるなんて、うらやましい!」と言われることがある。

もしかしたら、自分がピアノを弾ける人がうらやましいーと思うのと、通じるところがあるのかもしれない。

どう考えても、ピアノが弾けるようになったら、嬉しいとしか思えない。

だったら、英語ができるようになるのも、やっぱり、ものすごく嬉しいことなんじゃないだろうか。

その気持ちを忘れないようにしたいなーと思う。

塾のモットーの1つを『Love English』にしているのも、そういう気持ちを込めているつもりだ。










新しいことを始めると、だいたい、まずは「それをやってるだけで嬉しい」段階がある。

野球のバットを振るだけで嬉しい。

将棋の駒の動かし方を覚えて、盤の上で動かすだけで嬉しい。

覚えた英語を、口に出すだけで嬉しい。





・・・そして、そのうち、「壁」の時期もやってくる。

バットを振っても当たらない。

何度対戦しても、友だちに将棋で勝てない。

この前覚えたはずの単語が出てこなくて、自分にイラつく。





・・・だけど、続けていると、あるとき、急に「あれっ、自分、できるようになってるぞ」という時もやってきてくれる。

なぜだかバシバシとヒットが打てる。

2,3回に一度ぐらい、友だちに将棋で勝てるようになってくる。

テストで、「あ、この英語、この前やったやつ!」ということが増える。







そんな風に、「くそー」と「やったー!」を繰り返しながら、

グニャグニャと(=直線ではなく、上がったり下がったりしながら、それでもジワジワと)レベルが上がっていって、

そのうち、昔ほど苦労せずにできるようになってきて、楽しめるようになってくる。

たとえば、自分の寝る前の楽しみは、英語の小説を読むことだ。

中1の頃、be動詞すら分からなかったのが、

今は英語の本を読むのを楽しみにするようになっているなんて、不思議でしょうがない。

中学生、高校生、大学生・・・と、コツコツ英語をやってきた、昔の自分に感謝だ。

みんなにも、そうなってほしいなーと思いながら英語を教えている。

英語の小説を読むエキサイティングな時間。

翻訳されるのを待たずに、英語で直接、世界のニュースに触れる機会。

海外の友だちと英語で爆笑しながら会話する楽しさ。

そういう、みんなにとって「できたらいいなー」という世界を実現する、そのお手伝いをする仕事ができることが嬉しい。










それにしても・・・

ピアノをやるとしたら、またそのハードな過程を味わうことになるのか・・・

恐ろしいような、楽しみなような、っていう感じだ。

『幻想即興曲』っていうのと、

『月光第3楽章』を弾けるようになりたいんだけど、

両方、素人の自分が聴いても「こりゃ難しすぎだ・・・」と理解できるレベルの難易度なので、

「いつのことになるやら」なんだけど、いつか達成したいな。

あとはフルートとサックスもできるようになりたいし、ゴルフとテニスもマスターしたいし、

世界旅行もしたい・・・んだけど、間に合うかな・・・ 

とにかく、ボーッとしていると自分は英語しかやらなそうなので、新しいことにもチャレンジしたいなーと思う。

考えてみれば、高校生のみんななんか、常に新しいことを学校で習って、テストなり部活なりでどんどんチャレンジしているわけだから、

自分自身も新しいことにチャレンジしていれば、そういう生徒の子たちの気持ちもより理解できるんじゃないかなという気がする。





『ピアノできたらかっこいいな…』と思ってふと書いただけなんだけど、案外長くなってしまった。

また明日もいい日にしていこう。よし。