2015年7月7日火曜日

80:20の法則と、英語の先生。



「パレートの法則」を知っているだろうか。

別名、「80:20の法則」、「80/20ルール」だ。




たとえば、

「全人口の20%が、世の中にある富の80%を所有している」

みたいなやつ。

厳密な数値をみると、だいたいズレてることが多いんだけど、

大まかな傾向としては、使えることが多い法則だと思う。







ところで、僕は英語の先生をしているが、

英語の先生っていうのは、ひとつの「宿命」がある。

それは、いつまでたっても「英語力そのものでネイティブには勝てない」ってことだ。

たとえば、いくら僕が「いやいや、こんな英語はおかしいよ」と言っても、

ネイティブから「でも、うちの国ではみんなこうやって表現するよ」と反論されれば、

「あ、そう・・・。

 じゃあ、そういう言い方もアリなんや・・・」と認めるしかない。

もちろん、英語を道具として「使って」ディスカッションするときは、

英語というより、その議論の中身で勝負だから負けたくはないと思っているけど、

少なくとも英語力そのものとしては、ネイティブが最強なのは仕方ない。

だからこそ、日本人の英語の先生として、僕がネイティブに勝てるのは、

英語力そのものというより、

「ネイティブじゃない、帰国子女でもない日本人の高校生が、

 それでも『使える英語』を身につける」 ためのサポートをしてあげられる、

トレーナーとしての力かもな、と思ったりする。







・・・というのは今日の本題ではなくて、

言いたいのは、僕は普通の人と比べればものすごく英語が得意でも、ネイティブではない。

で、これについて、パレートの法則で考えることがある。

パレートの法則っぽく言うと、

「英語力の80%は、20%の勉強量によってもたらされた」

っていうのが成り立ちそうな気がする。

逆に言えば、

「残りの20%を埋めて、英語力を完璧にしたかったら、

 勉強量としては、あと80%に相当する努力が必要だ」

ということになる。











どの辺が「英語力80%」とするかは悩むけど、

とりあえず、英検1級ぐらいってことにしてみよう。

そうすると、

英語の勉強を始めたのが中1で、英検1級をとったのが大学2年のときだったから、

ざっくり、「英語力80%」までに、8年かかったことになる。

この「8年」が「勉強量20%」に当たるなら、

英語力を100にするには、

この「8年」のさらに4倍、つまり・・・

32年かかる計算になる。

大学2年生の年齢に、さらに32年を足すと、だいたい50歳だ。

それも、中1~大学までのときと同じぐらいの勉強量を費やしたとして、っていう前提がつくから、

それが難しいなら、実際には、70歳とか、そのぐらいになりそうな予感すらする。







70歳になったとき・・・・・・、世の中は 21世紀も後半に突入している。

その頃には、英語自体もかなり変化していそうな気がする。

もしかして、「もうダルイから、動詞にsとか付けるの、廃止しましょう」とかなっているかもしれない。

日本語の「ら抜き言葉」現象を考えれば、少しも不思議なことじゃない。

仮定法で「If I was ~」じゃなくて「If I were ~」って言ってる人なんか1人もいない、なんて可能性もある。

というか、言語は日々変化し続けるので、実際には「英語力100%」という日は来ないだろう。









そう考えると、英語の先生っていうのは、

「常に」自分自身も成長できる、すごい仕事をしているんだなと思う。

僕自身は、いまTOEFL(iBT)で120点満点をとりたいと思っていて、

そこまであと4点だから、一見すると、すぐとれそうだが(※ただ、パレートの法則からいくと、この満点までの4点だけのために、けっこう期間がかかってしまう可能性もある。そうならないようにサクッととりたいと思っているが、ともかく)、

たとえTOEFLで満点をとって、他の英語資格もパーフェクトにそろえたとしても、

それでも「英語力100%」ではないから、

まあ、半分は悔しいけど、半分は「いつまでも楽しめる」から嬉しい、という感じだ。








というわけで、もちろん僕はみんなに英語を「教える」んだけど、

教える側の僕自身も、日々成長していこう、と改めて思う。

スポーツの世界だと、引退した選手の方が、今度はコーチとして「教える」専門の側につくことがあるけど、

英語の場合は、コーチとしての僕自身も、言ってみれば「現役」選手のままで教えられる。

嬉しいことだなと思う。





70歳になったとき、いま教えている高校生のみんなは・・・50代半ばぐらいか。

それも楽しみだな。よし。