「パレートの法則」を知っているだろうか。
別名、「80:20の法則」、「80/20ルール」だ。
たとえば、
「全人口の20%が、世の中にある富の80%を所有している」
みたいなやつ。
厳密な数値をみると、だいたいズレてることが多いんだけど、
大まかな傾向としては、使えることが多い法則だと思う。
ところで、僕は英語の先生をしているが、
英語の先生っていうのは、ひとつの「宿命」がある。
それは、いつまでたっても「英語力そのものでネイティブには勝てない」ってことだ。
たとえば、いくら僕が「いやいや、こんな英語はおかしいよ」と言っても、
ネイティブから「でも、うちの国ではみんなこうやって表現するよ」と反論されれば、
「あ、そう・・・。
じゃあ、そういう言い方もアリなんや・・・」と認めるしかない。
もちろん、英語を道具として「使って」ディスカッションするときは、
英語というより、その議論の中身で勝負だから負けたくはないと思っているけど、
少なくとも英語力そのものとしては、ネイティブが最強なのは仕方ない。
だからこそ、日本人の英語の先生として、僕がネイティブに勝てるのは、
英語力そのものというより、
「ネイティブじゃない、帰国子女でもない日本人の高校生が、
それでも『使える英語』を身につける」 ためのサポートをしてあげられる、
トレーナーとしての力かもな、と思ったりする。
・・・というのは今日の本題ではなくて、
言いたいのは、僕は普通の人と比べればものすごく英語が得意でも、ネイティブではない。
で、これについて、パレートの法則で考えることがある。
パレートの法則っぽく言うと、
「英語力の80%は、20%の勉強量によってもたらされた」
っていうのが成り立ちそうな気がする。
逆に言えば、
「残りの20%を埋めて、英語力を完璧にしたかったら、
勉強量としては、あと80%に相当する努力が必要だ」
ということになる。
どの辺が「英語力80%」とするかは悩むけど、
とりあえず、英検1級ぐらいってことにしてみよう。
そうすると、
英語の勉強を始めたのが中1で、英検1級をとったのが大学2年のときだったから、
ざっくり、「英語力80%」までに、8年かかったことになる。
この「8年」が「勉強量20%」に当たるなら、
英語力を100にするには、
この「8年」のさらに4倍、つまり・・・
32年かかる計算になる。
大学2年生の年齢に、さらに32年を足すと、だいたい50歳だ。
それも、中1~大学までのときと同じぐらいの勉強量を費やしたとして、っていう前提がつくから、
それが難しいなら、実際には、70歳とか、そのぐらいになりそうな予感すらする。
70歳になったとき・・・・・・、世の中は 21世紀も後半に突入している。
その頃には、英語自体もかなり変化していそうな気がする。
もしかして、「もうダルイから、動詞にsとか付けるの、廃止しましょう」とかなっているかもしれない。
日本語の「ら抜き言葉」現象を考えれば、少しも不思議なことじゃない。
仮定法で「If I was ~」じゃなくて「If I were ~」って言ってる人なんか1人もいない、なんて可能性もある。
というか、言語は日々変化し続けるので、実際には「英語力100%」という日は来ないだろう。
そう考えると、英語の先生っていうのは、
「常に」自分自身も成長できる、すごい仕事をしているんだなと思う。
僕自身は、いまTOEFL(iBT)で120点満点をとりたいと思っていて、
そこまであと4点だから、一見すると、すぐとれそうだが(※ただ、パレートの法則からいくと、この満点までの4点だけのために、けっこう期間がかかってしまう可能性もある。そうならないようにサクッととりたいと思っているが、ともかく)、
たとえTOEFLで満点をとって、他の英語資格もパーフェクトにそろえたとしても、
それでも「英語力100%」ではないから、
まあ、半分は悔しいけど、半分は「いつまでも楽しめる」から嬉しい、という感じだ。
というわけで、もちろん僕はみんなに英語を「教える」んだけど、
教える側の僕自身も、日々成長していこう、と改めて思う。
スポーツの世界だと、引退した選手の方が、今度はコーチとして「教える」専門の側につくことがあるけど、
英語の場合は、コーチとしての僕自身も、言ってみれば「現役」選手のままで教えられる。
嬉しいことだなと思う。
70歳になったとき、いま教えている高校生のみんなは・・・50代半ばぐらいか。
それも楽しみだな。よし。