文化庁の世論調査で、
いわゆる「ら抜き言葉」を使う人の割合が、ついにそれ以外の割合を超えたらしい。
(参考記事:ら抜き言葉が浸透 「出れる」が「出られる」を上回る)
個人的に、できるだけ「ら抜き」は使わないようにしているし、
広告とかで「見れる」とか「食べれる」を見ると、
頭の中で「"ら"が抜けてて気持ち悪い・・・」と思ってしまう方なので、
これはかなりショッキングだ。
10~20代では、6割以上が、「出られる」よりも「出れる」を選んだらしい。
とはいえ、言葉は生きていて、常に変化するものなので、これも仕方ないのかなーと思う。
第一、もし言葉が変化しないんだったら、自分たちだっていまだに
「げに~」とか「のたまふ」とか、古文で習うような言葉で話しているはずなのに、そうはなっていない。
つまり、歴史上ずっと変化しつつある言葉を、今の時点で無理やりスパッと切り取って、それを「正しい日本語」として学んでいるに過ぎないわけだから、
いまさら「ら」が抜けたぐらいで、大した変化じゃないといえば、その通りだ。
英語だって、変化している。
whoとwhomの使い分けも歴史上どんどんゆるくなってきたわけだし、
もしかしたら将来、今度は「三単現のsとか、要らないんじゃない?」とかいう日が来るかもしれない。
生まれたときから
"He play tennis." で育った人にとっては、
"He plays tennis." の方が「面倒くさいし、変な言葉だな」ということになるかもしれない。
「stoppedでもstopedでも、まあいいよねー」となる可能性だって、ないとは言えない。
だから、「ら抜き言葉」の台頭も、もう受け入れるしかないような気がする。
「全然」という言葉も、自分が小学生のときは、後ろに否定語が来ないと気持ち悪かったけど(e.g. 『全然眠くない』)、
今やそれ以外の使い方も平気でするようになってしまっている(e.g. 『全然大丈夫やろ』)。
もはや、変化を楽しむしかないのかもしれないなー。
(ただし、生徒の子がテストの答案に『ら抜き言葉』を使ってきたら、しばらくは、今まで通り指摘するとは思うけど・・・。)
よし。