今日は高1クラスの初日だった。
なんか、こちらまで初心に帰る気持ちにさせてもらえて、すごく新鮮だった。
楽しんでくれた(&ためになった)ならいいなーと思う。
そういえば、今の高3クラスも、2年前に始めたとき最初は2,3人しかいなくて、
でもそこから、友達を連れてきてくれたり、チラシやブログを見て新しく来てくれたり、としているうちに人数が増えてくれた。ありがたいことだなーと思う。
高1の最初って、文型がどうとか、付加疑問文がどうとか、
そういう基本的なことばっかりがまずは続くけど、
そのときに、「知ってる」と「使える」を区別してマスターする子は強いなと思う。
たとえば、
How many Japanese words do you know?
という文は、三国丘や泉陽に受かった高校生なら、簡単に意味も分かるし、テストで英訳問題が出れば簡単に答えられるだろう。
でも、この文を、
海外からの留学生に対して、「即座に」「スラスラッと」言える高校生、となると、驚くほど少なくなるんじゃないかと思う。
たいがい、文を作るのに時間がかかりすぎたり、
あるいはそもそも発言できなかったりする。
これが、「知ってる」と「使える」の差だ。
だから、高1の最初の、簡単めなパートは、
「これ知ってるわ」で止まらずに、
「この英語、サクッと英語で言えるようになりたいー」っていう方の気合いでやれば、全然身につく度合いが違うんじゃないかなと思う。
自分はTOEFLっていう英語テストが好きで、このWriting問題は満点をとっているんだけど、
前に自分が書いたライティングの単語を全てチェックしたら、ほとんど(90%以上)が、塾で使ってる高校生向けの単語帳に載ってる単語だった。
それぐらい役に立つのが、高校でやる英語だ。
同じ単語でも、
たとえば passive と見たときに、
「受動的な」という意味が出てくるだけの人にとっては、
この単語は「認識語彙」と呼ばれる。
ただ意味が分かるだけ、という段階だ。
これが、自分で英語を話したり書くときにもpassiveという単語が使えるようになると、
この人にとってこの単語が「運用語彙」になったという。
つまり、ただ意味が分かるだけじゃなくて、使いこなせるようになっているということだ。
単語を勉強しても、それが認識語彙のままの人と、運用語彙にまで高めている人とでは、ものすごい差があると思う。
これって、勉強するときの、ちょっとした意識の違いなんじゃないかなーと思ったりする。
もし高1の序盤で「余裕やん」と思う人がいたら、是非そこでストップしないで、
「使える」英語にまで高めてマスターしてしまえば、もう怖いものなしのはずだ。
来週からどの学年も学校の授業がスタートするけど、学校でも塾でも、みんなが有意義な時間を過ごせますように。よし。
PS
お菓子の差し入れ!です。
いつもお気遣いいただいてありがとうございます!!^^